アラサー 心の調律

アラサー会社員の毒にも薬にもならない備忘録

適応障害はHSPが原因?社会人1年目から振り返る【第一部】②

こんにちは。メガハです。

 

さて、今回は前回の続きで、僕がかつて罹った適応障害について振り返ろうと思います。

 

なんとか地元企業に就職するも、会社の雰囲気や上司からの扱い、残業などでついに僕の身体に異変が起こったところでしたね。

そんな状況で仕事を続けていたら突然熱があるわけでもないのに、身体がとても怠くなったんです。
そして頭痛、吐き気、動悸、目眩・・・。とても仕事ができる状態ではなかったです。

 



その時の記憶はハッキリしていないんですが、初めての経験なのに「あ、これはメンタルが危ないから精神科行かなきゃ・・・。」って思ったんですね。
これまでに精神科なんて掛かったことなんてなかったんですけどね。

ある日、家から電車で行ける所に精神科があったので無理をして行ってみたんです。
(最寄り駅の近くにもクリニックはあったんですが、新患を受け付けてないみたいで行けなかったんです。)

問診票を書いて、2,30分くらい先生に診察してもらい、精神を落ち着ける漢方薬、頭痛薬、胃の不快感を治す薬を処方されました。
ちなみにその時はまだ病名を伝えられていませんでした。

病院に行ったことで「これでまた何とか会社に行ける。」と思い、薬で良くなる期待を持ちながら休むこともなく通勤しました。

 

しかし、そんな生活も長くは続きませんでした。


薬を飲みながら仕事に通い続けること1カ月くらい経った頃でしょうか。
薬が効いてないどころか、余計にひどくなっていってたんです。

もう今度こそ休まないとダメだ。」と思い、とても苦手だった部長に相談したんです。
体調がすぐれないこと、これにより精神科に通っていること、体調不良が仕事に支障をきたしていることなど。

その時の部長は親身に話を聞いてくれていました。(今思えばそんな気がした気がしただけ)
一通り話をすると、部長から3日間一旦休むように命じられたんです。

とりあえずまとまった休みが貰えて安心した状態でその日は早退しました。

その日の内でした。
気分転換も兼ねて少し実家で療養しようと思ったので、初めて両親に精神科に通っていることを打ち明けたんです。

身近に精神疾患を持っている人がいなかったからか、なんて声をかければいいのか困惑していた様子でしたがとても心配してくれていた記憶があります。

休暇を貰ったから実家に帰りたい旨を伝えると両親は歓迎してくれました。
(実は地元の企業に就職したのですが、配属が東京だったので両親は特に心配だったみたいです)

 

といってもたった3日の休暇、特に何をするわけでもなく再び東京に戻りました。
もちろん、症状が良くなった感じはほとんどありませんでした。

次の日からはこれまでと変わらない日常でした。
仮にも病み上がり(?)なのに特に気を遣われるわけでもなく、相変わらずの扱いでした。

それでも服薬をしながら出社を続けていましたが、ここで2度目の限界を迎えることになります

 

遂に夜は動悸が止まらず一睡もできない、鎮痛剤を飲んでも頭痛が治まらない、食欲が無さ過ぎて食事を摂らなくなった、それ故に気持ち悪くなっても吐けなくなったなどといった、仕事どころか日常生活すらままならない状態となってしまったんです。

重たい身体を引きずりながらなんとか出社し、再び部長に相談しました。

すると遂に「1ヶ月の休職」を提案されたんです

その日の内に「手続きに必要だから主治医から診断書を貰って来い」と言われたので、業務時間中でしたがすぐに精神科の先生のもとに行きました。

病院に行くとすぐに診察、そして診断書を書いてもらえました。
この時、診断書には病名を記載する必要があったみたいで、僕も気になったので何と記載したのか聞いてみました。

すると先生は、「適応障害』と記載しましたが、うつ病っぽくもあるので判断が難しかったです。」と仰いました。

うつ病か、やっぱりな。」という気持ちと、「適応障害?初めて聞いた」という気持ちがあったのを覚えています。
これが適応障害のことを知ったきっかけでした。

ちなみに精神疾患において、すぐに病名を判断するのは結構難しいらしくあまり病名を告げたくないお医者さんもいるんだとか。
主治医の先生も慎重だったんですね。

無事診断書を入手し、部長に渡し、僕の休職が始まりました。

やっとでしっかり治すための長い休暇を得られたわけですが、やはりすんなりと良くなるわけではありませんでした。


さて、また長くなりそうなのでこれ以上は次回以降に持ち越しますね。
慣れない執筆活動につき、どうしても長くなってしまいましたね・・・。

それでは失礼します。

Megaha