アラサー 心の調律

アラサー会社員の毒にも薬にもならない備忘録

適応障害はHSPが原因?社会人1年目から振り返る【第一部】③

こんにちは。メガハです。

 

さて、今回もやりますか。思い出すだけでも吐き気がする前回の続きです。


新社会人としての洗礼というか嫌がらせというかを受け、無事限界を迎えたメガハ青年は会社に診断書を提出し、1ヶ月程の休職を手に入れたところでしたね。

とりあえず会社には行かなくても良くなったので、とにかく好きなようにゆっくりすることに決めました。

 



常時睡眠不足なので寝たいときに寝られるだけ寝て、食欲も無いので食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べていようと。
好きな音楽を聴いて、気が向いたらベースを弾いて、そういえば最近小説も読めてなかったから読書もしよう、体力が戻ったら地元の友人とバドミントンしよう・・・。

なんて思っていたんですが、ここで「意欲の低下」といううつ病の典型的な症状に阻まれてしまいます。

とにかく何もしたくないんですよね。
好きなことから、トイレやお風呂などといった日常生活における必要なことまで。身体が鉛のように重くて動かせないんです。

 

おまけに処方された薬の副作用で身体の倦怠感がひどくなり、寝たくないのに眠くなってきたり、食欲も落ちてきたり。
さらに気持ちは何もしたくないのに身体はジッとしてられないというか、とにかく気持ち悪かったんですね。
そのせいで薬を飲むのがとてもしんどかったです。

そんなこんなで僕の三大欲求、並びに趣味が死にました

寝たくない、食べたくない、誰かに会おうとも思わない。

大好きな音楽もすべて雑音に聞こえる。
ベースなんか手に取る気すら起きない。
本を読んでも内容が頭に入ってこない。
バドミントンなんかもってのほか。

とにかく何もしたくない。
そのくせ何もせずにはいられないくらいソワソワする。

これ本当に地獄でしたね。
治すために休みを貰ったのに、治る気配もなくとにかくしんどい。
治すために薬を貰ってるのに、副作用でむしろ飲む前よりひどくなってる。
「こんなんで本当に復帰できんの?文字通り廃人じゃん。」

 

この頃ですね。
俗に言う「希死念慮」に陥ったのは。

僕の場合は積極的に死にたいというよりは、「こんな思いをしてまで生きたくない」って考えが強かったです。
結果的には同じなんでしょうが、死にたいかって聞かれるとなんとも難しかったですね。

僕は臆病なので死ぬのはもちろん怖かったです。痛いのは嫌だし、苦しいのも嫌だ。
そして何よりも家族が悲しむ。いくら自分の人生がどうでもよくなっても、残された人たちが悲しむのは本望ではありませんでした。

その考えがストッパーになってくれたおかげで、特に行動に起こすわけでもなくとりあえずは無事でした。

そんなこんなで日常生活も儘ならなくなってきたので、再び実家に引っ込むことになります。

前回の3日間の休暇の時と違い、完全に見た目に出ていたので両親も改めてビックリしてました。
母曰く、「例えるならDEATH NOTEに出てくるLみたいな感じ」だったそうです。

全身が重いため常に前傾姿勢だったんですね。すべての動作が遅く、また前を向いて歩けなかったですね。
おまけに体重も10kg以上減ってましたし、常に吐き気と闘っていたため顔面も蒼白だったんですね。もう絵に描いたような廃人でした。

重たい身体を引きずって帰省したのですが、両親もどうしていいのか困ってたみたいでした。
うつ病の人に対して何と声をかければいいのか、何をしてあげればいいのか、もしくはそっとしておいた方がいいのか。
当事者である私ですら、どうしてほしいのか分かりませんでした。

両親もいろいろ調べてくれたみたいで、「うつ病には気分転換が必要」という結論に行きつき、いろんなところへ連れ出してくれました。

今だから言えるんですが、この「気分転換が必要」って考えは半分は効果的で、半分は逆効果だと思うんですね。

なぜなら、症状が少しも良くなってないのに無理に外に出たからです。

しかし、両親も良かれと思ってやったこと。私も家にいてばかりでは良くならないと考えていましたしね。

いよいよ外に出るのもしんどくなってきた頃から、しばらくは家でボーっとしてましたね。
なるべく何もしないように。好きな時間に寝ては起きて、少しでも気力が湧いたら近所をお散歩してみたり、本を読んでみたりしてました。

また、両親も気を遣うのをやめたんですね。普通に今まで通りの接し方に切り替えたんです。
これがとても良かったですね。確かに僕は病人ではあったけれど、気を遣われる方がつらかったので。

なんやかんやありましたが少しずつ良くなっていきましたね。

ある程度良くなったところで復職に向けた生活に切り替え始めてました。
なるべく早寝早起きを心掛け、食欲があれば3食摂るようにし、体力も落ちてたので軽くランニングしたりしてました。

半月くらい経った頃、本調子とまではいかなくとも、日常生活はなんとか送れるレベルまで回復したのでまた東京に戻りました。病院にも行かないとでしたし。

いよいよ復職の日が近づいてきました。

体調も良くなってきたし、業務をセーブしながらであれば復帰できるだろうと思っていました。
病院の先生からも、引き続き投薬は必要だし業務量の調整が必要だが仕事を再開してもいいと言われていました。


ただ、やはりうつ病適応障害って簡単に克服できるもんじゃないっていうことを思い知らされることになります。

これ以上は長くなるので、また分割させてもらいますね。
失礼します。

Megaha